出席したら負けかなと思っている

意識低い大学生のブログです

マルクス主義は無視できない

 私はマルクス主義も、その理論を支える弁証法にも詳しい知識を持ち合わせているわけではなく、高校倫理の参考書程度の知識しかないが、倫理の教科書を読む限り、マルクス主義の意義はいまだに存在するのではないかと思うようになった。

 

マルクス主義の特徴の一つである唯物史観弁証法を論理的基礎においている。

 ・弁証法とは矛盾を「止揚」することで、矛盾のないより高次の存在に引き上げる方法である。

唯物史観とは、各時代の矛盾(階級闘争)を弁証法的に解消していくことで社会、歴史は進んでいく、という考え方である。

・資本主義は、その抱える矛盾(資本家VS労働者)が引き起こす階級闘争により、いずれ終焉をむかえ、より高次の社会である共産主義社会主義に発展していく

 

 というのが、マルクス主義弁証法に対する私の理解である。本来もっと勉強しなければならないのだが、ご容赦願いたい。

 

 ここで、資本主義の性質とその歴史を見てみる。

 

・資本主義は、利潤を追い求める個人、団体の経済活動を原動力としている

・利潤を得るとは、その多くは「差」を利用してマージンを得ることである。A地点で安く買った商品を輸送してB地点で高く売る(A地点とB地点の価格差)。A国で安く確保した労働力で作った安い商品をB国で高く売る(A地点とB地点の人件費の差)。

・資本家は安い労働力を求めて様々な国から国へと生産拠点を移してきた。

・人件費の安さに目をつけられて生産拠点となった国は、経済発展をし、先進国との差が縮まる。

 

 ここで注目したいのが、利潤追求は「差」を利用したものであること、そしてその「差」はいつか解消されるものであるということだ。

 

 資本主義の原動力である利潤追求は「差」を埋める際のマージンを得ることであるが、利潤追求が極限まですすむと「差」はなくなることになる。

 

 資本主義は自分のしっぽを加えている、ウロボロスのヘビのようではないか?

 最終的に大きな矛盾が発生するのではないか?

 資本家VS労働者という階級闘争とは違うが、その矛盾は何かをもたらすのではないか?

 

 

 資本主義が引き裂かれるとしたら、私自身無事には済まないだろうから、その矛盾の先はあまり考えたくはない。

 

 偉い人が私の代わりにこの考えを補強してくれたり、むしろボコボコに論破してくれるのであれば、幸いである。(不勉強、他力本願)

トランプの当選は、時代・秩序の変わり目を表しているのではないか

当初は泡沫候補として扱われていたドナルド・トランプが、現地時間の11月9日午後四時、アメリカ大統領に選ばれてしまった。

彼は「米国を再構築する」と演説したとのとこだが、それが本気だとしたら米国どころか世界が再構築されることになるだろう。

 

彼の主張通り、アメリカ軍の海外展開が縮小されることになると、国際秩序に大きな変化が起こることになる。圧倒的な力を誇るアメリカ軍がいなくなることによって、「空白地帯」が出現し、そこをめぐって新たな争いが起こる危険がある。

 

このしわ寄せは日本も例外ではない。むしろ日米、米韓同盟が見直され東アジアにおける米国の影響力が弱まると、中露がしゃしゃり出てくる可能性が高いため、日本はアメリカの方向転換の影響をモロに受けることになる。また、近年日本はロシアと接近しているが、これを機に接近の度合いがより大きくなる可能性もある。

東南アジアからも手を引くとなると、アジア一帯で勢力図が描き換えられることになるだろう。中国に次ぐ人口大国であるインドの動向も気になってくる。

そうなると日本は新たな戦略を描く必要に追われることになる。

  

それに、「21世紀の資本論」に示されている、格差の拡大が社会・経済の不安定を招き、最終的には大戦や恐慌によってリセットされる、という仮説からも一抹の不安を覚える。

トランプの支持層とアメリカの格差問題との関係はたびたび論じられていて、彼の当選はアメリカの格差がシャレにならないことを示唆しているといえる。

相互経済依存が進んだ現代では、恐慌はともかく、大戦は起こらないだろうと思う人もいるだろうが、20世紀初頭の第一次世界大戦前夜でも同じようなことが言われていた。

 

なによりも、彼が当選したという事実が、近代以降繁栄を謳歌してきた欧米諸国の没落を象徴しているように思えてならない。
彼の主張と近年欧州の右傾化には、外国人、特にイスラム教徒の排斥という点で重なる部分があるのだが、国力が弱まると部外者が攻撃されるのはお約束だといえる。
皮肉なのは、労働力を補い欧州の繁栄を支える目的(実質奴隷)で呼ばれたり、欧米諸国(特に英米)が中東はじめ世界にまき散らした歪みによって故郷を追われた人たちが移民の多数を占めることである。

 

他にも言いたいことはあるのだが、この辺が限界だ。

とりあえずは彼の動向を見守ることにしよう。だが、もしも彼が今までの発言に沿った政治をするようであれば、時代・秩序の転換と、それに伴う痛みは覚悟しておいたほうがいいかもしれない。

欅坂46のナチス騒動、イスラエルがキレすぎだと思っている人へ

アイドルグループの欅坂46が、ハロウィンのコスプレでナチスの制服に酷似した衣装を用いたことでイスラエルが不快感を示し、海外でも取り上げられる大問題になってしまった。

以前も氣志團が同じようなことをやらかしたが、その時も大問題になったことは記憶に新しい。

 

 ぶっちゃけ、ナチスの制服は軍服の中で群を抜いてカッコいい分まねしたくなる気持ちもわからないことないし、デザインを突き詰めると似たようなものを作ってしまうのかもしれない。

 

それに、イスラエルは芸能人の衣装ごときに毎回過剰反応しすぎだと思う人も多いだろう。

 

だが、ハリウッドスターがもしもハロウィンで原爆や放射能原発事故をテーマにしたコスプレをしたら、と想像したらイスラエルの反応も納得できてくる。

 

 

日本人にとって原爆、原発事故は一種のトラウマであり、言いようのない不快感を引き起こす。

イスラエルにとってナチスは同じようなものではないのだろうか。

 

 

海外メディアによる日本の原爆、原発事故関連のジョークが日本で問題となったことが何度かある。BBCですらやらかした。

 

おそらく海外では「その程度で」と思う人も多かっただろう。

だが、多くの日本人は「その程度」とはとらえない。

 

原爆は大量の死者と後遺症に苦しむ人を出したし、原発事故は多くの人を故郷から追いやったのだから当然だ。

 

この辺で、ユダヤ人がナチスから受けた仕打ちを思い返してみる。

彼らは同胞を多数殺害され、住んでいるところも追われた。被害者数だけでいえば原爆、原発事故を合わせた数よりよりもはるかに多い。

被害者数で心の痛みを測れるわけではないが、考慮すべき数字ではある。

 

 

イスラエルにとって、ナチスは「その程度」で済ませられるトラウマではないのだろう。

同じく、「その程度」で済ませられないトラウマをもっている日本人として、イスラエル側の感情を理解することは難しくないはずであるし、理解すべきだ。

グローバルスタンダードなどは関係ない、他人を傷つけた事実に向き合うべきだ。

ボブディランは無礼で傲慢 原文を英訳してみると、、

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ノーベル賞選考委員のボブディランに対する発言が関心を集めているが、本当にそんなアホみたいな発言があったのか気になった。

そこでスウェーデン語のニュースを英語に翻訳してみると、このような英文がでてきた。

we can say that it is discourteous and arrogant.
he is who he is.

これを直訳すると

我々はこのことを無礼で傲慢だと言える。
彼は彼なのだ。

という感じになる。


そしてcanの解釈を変え、意訳を混ぜると

無礼で傲慢といえるかもなぁ。
ボブディランはぶれないねぇー。

ともできる(間違ってたらごめんなさい)。



選考委員のおっさんはボブディランにキレてるどころか、むしろその生き様に感心して皮肉っぽくも褒めている可能性がある。



ここで少し話題を変えるが、ニュースが翻訳される際、発言が歪められることは多い。
そもそも日本語のニュースでさえも要約の過程で歪められることがあるのに、翻訳されている海外発のニュースが情報を正しく伝えてると思わない方が良い事は多々ある。

現に日本人の発言が歪められて海外に発信されることもある。
麻生太郎ナチスに学べ発言が良い例だろう。

原文に含まれる微妙なニュアンスを残したまま翻訳することは難しい上に、悪意をもったうえで歪めて翻訳することは簡単なのだ。


結局何が言いたいのかというと、メディアリテラシーについて考えるべきだ、ということだ。



この記事を読んで、なるほどと思った人もいるかも知れない。
しかし、私は翻訳サイトという正確性に疑問のある英訳手段を用いて原文のニュースを読み、それを選考委員に好意的に意訳した節はある。

そもそもスウェーデン語のニュースのリンクを冒頭では貼っておらず、原文にふれたかどうかも疑わしい。
(まあ貼るけど)
http://www.svt.se/kultur/bok/bob-dylan-raderar-info-om-nobelpriset

私が歪めることもできるのである。

日本人は道徳的に優れているわけではないかなと思っている

いつだかは忘れたが日本人の観客が国際大会の試合後に観客席を掃除したことが話題になった。
この事自体は素晴らしい事だとは思う。だけど、その後「日本人は公共心に満ち溢れた道徳的に素晴らしい民族だ」といった論調がでてきたのには違和感を覚えた。

掃除をしない他国の人間のレベルが低いだけで、日本人のレベルは普通だ、と言いたいわけではない。

掃除をすることは日本人にとって自らの道徳心を表す行為であり、日本人の道徳は公共心に特化した物だ。と言うと事を言いたいのだ。

わかりにくいので他の例を挙げてみる

欧米の人達は寄付に熱心だという話を聞くことがある。それは貧しい人々をいたわる慈悲の心の表れなのだろう。しかしそれは欧米の人達の道徳は慈悲に特化したという結果でしかない。

反対に日本人で寄付に熱心な人は少ない。だがこのことで日本人が道徳的に劣っているとするのは早計だろう。

日本人にとって道徳は、公共心がその大部分を占め、慈悲の心は比較的少ない部分を占めている。これ以上でもこれ以下でもないのである。

僕はガキンチョだけど、だからこそ語れることがあるのかなと思っている

このブログでは大学生の僕が今まで生きてきた中で思ったことや感じたことを書いていきます。

文章がおかしかったり、幼稚だったり、認識の甘さがにじみ出ていたり、視野の狭さを露呈しているだけだったりする記事も多いと思います。

だけどその中にはこの時代に育った大学生だからこそ感じられるものもあると思います。

どうぞよろしくお願いします。

ブログはじめました

題名の通りです。
ゆっくり更新していこうと思っています。

更新してなかったらお察しでお願いします。